masakimary

静かに過ごしていきたい

場面緘黙症の女子学生が本やアプリなどを紹介するブログです。様々な記事を書いていきたいと考えています。何か気になることやご意見などありましたら、お気軽にコメントしてください。

プロフィール(場面緘黙症の私)

こんばんは。場面緘黙症大学生のmasakimaryです。
このブログを開設するにあたり、簡単なプロフィールを書いていきたいと思います。

〈保育園時代〉
 私は、2つの保育園に通っていました。今通っている保育園から別の保育園へ通うことになるわけですね。この環境の変化が場面緘黙症になるきっかけだったと私は考えています。

 保育園に行くときは、親に車で送り迎えをしてもらっていたのですが、早く保育園につかないように、なるべくゆっくり行くように頼んでいました。本当に行きたくないときは、腹痛を訴えて泣きました。

〈小学生時代〉
 小学生時代の私は、母が図書館で本を借りてきたことがきっかけで、読書が好きになりました。また、自分で考えたキャラクターの漫画らしきものを描いたり、母が使うパソコンで小説や動画を見たりしていました。

小学生時代と言っても、あまり覚えていないのですが、学校に行くとき毎日憂鬱だったのはなんとなく覚えています。小学3年生になった頃は、登校したその足で保健室に行って、保育園のときと同じように腹痛を訴えるという行為を毎日やってましたね。さすがに毎日だとバレるだろと思われるでしょうが(バレましたけど)、そのくらい学校に行くのが嫌でしたね。

 そして、私は誰とも何も話さなかったので、いじめのターゲットになりました。悪口を言われたり、普段は優しい女の子が下校中に突然私にキレたことがありました。友達に迷惑をかけている私にイライラしていたんだと思います。

 また、給食当番をやらない私に対する、ある男子の一言がきっかけで、教室の中で給食を食べられなくなるということがありました。その後、担任の先生が別の部屋で給食を食べられるように配慮してくれて、給食後の授業も受けなくて良いと言われました。(途中からは、担任の先生の判断で教室で給食を食べ、授業にも戻ることになりました)

〈中学生時代〉
 中学生になると、小学校と校区が一緒なので、私を知っている人がたくさんいます。その結果、いじめられるのは必然でした。

 しかし、中学1年生のとき、担任の先生が男子全員を集めて話をしたようで、それからいじめはぱったりとなくなったのです。どういう話をしたのか未だに聞くことはできていませんが、担任の先生には本当に感謝しています。

 中学2年生のとき、このまま話せないままではいけないと考え、小さい声ながらも話すように努力して、教科書の朗読などはできるようになりました。

 中学3年生になり、進路を決める時期になりました。進路と言っても、明確にどこの高校に行きたいというのは決めていませんでした。私は、母が通っていた商業科のある高校に進学することを決めました。

〈高校生時代〉
 高校生になり、商業科が一つしかない高校なので、女子がほとんどのクラスで3年間過ごすことになりました。簿記やExcelなどの難しい授業が多くありましたが、日商簿記検定や情報処理検定などの資格を取ることができました。
 
 部活は途中から行かなくなり、その後別の部活に入部するように担任の先生から勧められました。その部活は、すごく緩くてみんなで遊んだり、幽霊部員もいたりと自由なもので、私もある程度は自由に過ごすことができました。私のように、部活に馴染めなかった人が入部することもあるようで、それなりに親近感も湧きました。

 高校生の途中から、自分は人見知りではなく何か別の病気なのではないかと考えるようになりました。そして、図書館で場面緘黙症の本を見つけました。その本は、私と同じような症状を持つ人の体験談が載せてあり、同年代の人ばかりではなく、上の年代の人もいて驚いたのを覚えています。

 その夜、母に相談しました。すると、母は私が気づくよりも前に、私が場面緘黙症ではないかと気づいていました。何故早く言ってくれなかったのかと聞くと、母は、「あなたが悲しむと思ったから」と言いました。その気持ちは今になって考えると分かるのですが、そのときの私は悔しくて泣いてしまいました。もっと早く言ってくれれば、何かできることがあったのではないかと言う思いが強くあったからだと思います。

 そして、進路を決める時期になり、私はその地区では有名な大学の経営学部に進学することを決めました。



 そして現在、私は自分には何ができるのかを探している最中です。このブログを始めたのも、このような思いが頭にあるからです。
 私のような社会的少数者の人たちは、まだまだ肩身の狭い思いをしていると思います。
 場面緘黙症というものは、社会的認知度も低く、人見知りと混同されてしまうことがほとんどです。場面緘黙症者は話したくないわけではなく、話したいのに話せなくなってしまうのです。必要以上に緊張して声が出せなくなってしまうのです。決して、わざと話さないわけではありません。

 このブログを通じて、私と同じような症状を持つ人たちが、この記事を参考になるものだと思ってもらえたのならば幸いです。
 また、そうでない人たちにも、世の中にはこのような人たちもいるのかと興味を持ってもらえたのならば、これほど嬉しいことはありません。
 
 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。